平成10年度 

海南大会 第3位
第14回徳島市小学生記念大会 A C組 初戦千松 2回戦南井上
      決勝戦川内北に
      フルセットで勝って優勝
B B組 初戦西富田に敗退 (20)
ライオンカップ徳島県大会 優勝
ライオンカップ全国大会 予選リーグ4組1勝1敗1位
決勝トーナメント1回戦敗退
徳島県選手権大会 ベスト16
10 第18回全国大会出場記念第14回助任大会 1日目 A(記録上)
優勝・うしお 準優勝・潮見 3位・福井
4位・助任 5位・木太南 6位・香北 
ライオンカップ全国大会出場を祝って
全チーム優勝
B 川上若あゆ
2日目 優勝・助任 (26)
 


詩織・奈留美・実希・李枝・智子・里沙・碧・智美・亜矢・しずか・真綾・佳那・未来・美和

   第14回徳島市小学生バレーボール記念大会

   戦評

 1セット助任は、両サイドからの正確なアタックですべり出しよく得点を積ね、終始リードを守って、15−5でセットを物にする。
2セットは、川内北がスピードのある攻撃で、助任のブロック陣をかく乱し、サーブによるポイントも加えて、追いすがる助任を15−11でふり切る。
3セット前半は、助任左サイドのアタックがよく決まり、リードを続けるが、川内北も多彩な攻撃で、じりじりと追いあげ、後半は、一進一退を繰り返す。
そうしてジュースになったが、ついにチームとしてまとまりのある助任に17−15で軍配があがる。
紙一重の差であった両チームのすばらしい健闘を賞賛したい。

   <チームの横顔>

 わたしたちのチームの監督さんは、わからないことがあれば、わかりやすく説明してくれて、ときにきびしく、ときにやさしく指導してくださいます。
練習は、毎週の火、木、金曜日で、午後5時から7時半までの2時間半です。
チームの目標は、礼儀、友情、チームワークです。
一番楽しかったことは、お弁当をもってみんなで花見にいったことです。
みんなでいると、とても楽しいです。・・・井上詩織

   ライオンカップ第18回全日本バレーボール小学生大会(平成10年度)徳島県大会

   セールスポイントと大会への抱負・・・礼儀、友情、チームワークを大切に、一生けんめい努力した基本プレーを守り、思い出をいっぱい創りたいと思っています。

   ”全国切符”かけ来月5日決戦 女子は北斗七星と助任バンビ

 ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会三日目の二十八日、北島、藍住両町の勤労者体育センターで女子は四回戦から準決勝まで、男子は準決勝があった。
女子は北斗七星(藍住町)と助任バンビ(徳島市)、男子は松茂SVC(松茂町)と椿ヴィガーズ(阿南市)がそれぞれ決勝にコマを進めた。
男女の決勝戦は来月五日午前十時から、松茂町総合体育館で行われる。
成績は次の通リ。
女子 四回戦 川上2−0松茂 津田2−1宍喰 浅川2−0横瀬 北斗七星2−0加茂 大松2−0見能林A 助任2−0延野 川内北2−0海部 藍住西2−1鳴門第一 
準々決勝 川上2−0津田 北斗七星2−0浅川 助任2−1大松 藍住西2−0川内北
準決勝 北斗七星2−0川上 助任2−0藍住西

  ライオンカップ 四国放送テレビ中継資料
監督 可原 文昭 50才
<略歴・監督歴10年目>
地元助任出身 昭和56年よりコーチ平成元年より監督
<指導方針・監督から一言>
礼儀、友情、」チームワークを大切に、いつも一生懸命プレーすることを心掛けています。
練習はきびしく試合はのびのびがモットーです。
コーチ 井上 一恵 37才
<略歴・コーチ歴2年目>
現在ママさんバレーで頑張っています。
<指導方針>
監督の指導に協力して、ベンチより、子供達を励まします。
選手の横顔(得意なプレー・持ち味・性格・好きなバレーボール選手など詳しくお願いします)
@ センター 井上 詩織 6年 150cm 変化球サーブが得意で声が大きく、どんな困難にも負けない積極的な子、ちょっとおせっかいな所もある。 佐々木みき
2 バックレフト 香川 奈留美 6年 147cm レシーブが非常にうまく、負けず嫌いで勝負に強く、たよりになる子。佐々木 みき
3 バックライト 古高 美希 6年 145cm 変化球サーブが得意で、サーブミスが少ないがんこな性格の持ち主。
大林 素子
4 レフトアタッカー 横井 李枝 6年 156cm はなれたトスでも相手コートに打って返せる。
明るくて元気だが、おこるとおちこみやすい。 大林 素子
5 セッター 矢野 智子 6年 152cm サーブ、トスも安定している。
いつも強気で向かっていく性格。 佐々木 みき
6 ライトアタッカー 藤川 里沙 6年 157cm ここ一番でたよりになる自信家、はかい力はばつぐん、笑顔がすばらしい。 佐々木みき
7 繁木 しずか 5年 8 田村 真綾 5年 9 三好 瞳 5年 10 高尾 佳那 5年11 井上 未来 5年 12 矢野 碧 4年

チーム名 助任バンビ クラブ創立28年目 決勝進出は8年ぶり2回目
<チームの横顔:過去の戦績、チームの歴史など> (ライオンカップ、新人戦、地区大会など)
昭和60年 県選手権大会 第三位
平成元年 県新人戦 準優勝 ライオンカップ 第三位 
平成2年 県新人戦 優勝 ライオンカップ 優勝 県選手権大会 準優勝
平成7年 ライオンカップ ベスト8
平成9年 県新人戦 第三位 ライオンカップ ベスト8
<学校の横顔:環境、校内でのクラブ活動全般など>
スポーツの盛んな文教地区、児童数約1,000人、スポーツ少年団組織もしっかりしていて、野球など7つの部がある。
部員数 17人 練習時間 週3回17:00〜19:30
チームの特徴 (攻撃面・守備面に分けて詳しくお願いします)
<攻撃面> (どんな攻撃が中心?) (攻撃の中心は誰?など)
レフト、ライトのオープンと時々使うセンター、バックレフトの攻撃、フェイントは使わないが、セッターのツー攻撃もある。
レフト(横井)とライト(藤川)の強打
<守備面> (サーブカット・ブロックなど全般的にお願いします)
セッターに返すことを心掛け、2段トスをアンダーでオープンに上げることを重視している。
ブロックは前衛3人共得意でシャットアウトを目差している。
<今大会のここまでの戦績> スコアー 試合内容
1回戦 シード
2回戦 昼間 2(15−0 15−2)0 一方的
3回戦 藍住南 2(15−3 15−5)0 一方的
4回戦 延野 2(15−6 15−7)0 サーブポイントが多く、ブロックがよかった。
準々決勝 大松 2(15−9 13−15 15−11)1 ブロックがすべて。
準決勝 藍住西 2(15−6 15−8)0 ブロックがよかった、スタミナの勝負だった。

   女子 
助任8年ぶりV

 ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会県大会の決勝戦は五日、松茂町総合体育館で開かれ、女子は助任バンビ(徳島市)が北斗七星(藍住町)を下し、八年ぶり二回目の優勝、男子は松茂SVC(松茂町)が椿ヴィガーズ(阿南市)を破り、二年連続二回目の優勝を決めた。
両チームは八月十日から東京で開かれる全国大会に出場する。

女子の決勝は一時間二十分に及ぶ大接戦。
第一セットは助任がブロックの応酬の末、辛くも先取。
第二セットで北斗七星・徳山に七本のスパイクを決められるなどして追いつかれ、第三セットに一時は4点差をつけられたものの、確実なブロックとねばり強い守りで逆転した。
北斗七星は徳山が12本のスパイクを決めるなど活躍したが惜しくも届かなかった。
閉会式では、生田豊・県バレーボール協会会長が「男子、女子ともに決勝にふさわしくどちらが勝ってもおかしくない好試合。全国大会でも勝利めざしてがんばってほしい」と激励。
若松和男・読売新聞支局長らから優勝、準優勝の賞状や盾などが贈られた。

   女子決勝 助任2(15−12 3−15 15−10)1北斗七星

助任・可原文昭監督「いつも第三セットにもつれ込む。全員バレーで勝ってくれた」
同・井上詩織主将「楽しかった。全国でも楽しいバレーがしたい」

   渭北スポーツ少年団 助任バンビ全国大会出場 8年ぶりV
 ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会県予選の決勝戦が七月五日、松茂町総合体育館で開かれ、助任バンビが北斗七星(藍住町)を2−1で下し、八年ぶり二回目の優勝を決め118チームの頂点にたちました。
一時間二十分に及ぶ大接戦!強打あり、フェイントあり、そして確実なブロックとねばり強い守りで逆転しました。
吉田校長先生をはじめ、たくさんの方々が暑い中応援にきてくださり、選手と一緒に汗びっしょりになりながら、ナイスアタック、ナイスプレイがでれば「もう一本!もう一本!もう一本!」の大合唱でした。
可原監督の「頑張れよ、頑張れよ」の言葉に励まされ、子ども達は全国大会の切符を手に入れました。
八月十日〜十三日、東京で開かれる全国大会でも、コートの中で最高の笑顔で自分達のバレーを思いっきり楽しんでほしいと思います。
大きな夢をありがとう。
感動をありがとう。
東京体育館でも大暴れしょうネ。
助任ファイト!オー!よーし!ファイヤー!
(助任バンビ後援会)
会場、テレビ等でたくさんの方に応援していただき本当にありがとうございました。
誌面をかりましてお礼申し上げます。・・・ほほえみ第110号より

ライオン優勝カップ


ダイエーオレンジアタッカーズと

   
栄冠目指す98代表

 目指すは日本一 
ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会(日本バレーボール協会、読売新聞社など主催、文部省など後援、ライオン株式会社特別協賛、ミカサ、モルテン協賛)が十日から十三日まで、東京体育館を主会場に行われる。
全国九千九十八チーム参加の都道府県大会を勝ち抜いた男女各四十九チーム(北海道、東京は各二チーム)の精鋭たちを紹介する。
今年も個性豊かな顔ぶれがそろい、男子十二チーム、女子二十七チームが初出場。
昨年は男子の初出場チームが栄光に輝いており、初出場初優勝も夢ではない。
十一日のグループ戦を突破し、十二日の決勝トーナメントで四強を果たしたチームが、最終日の準決勝、決勝へ進む。
選手村では、歯みがき教室やお祭り広場などが開かれる。
伸び伸びとプレーし、全国に友達をつくって、思いでに残る素晴らしい大会にしよう。(決勝の模様は十三日午後四時から、日本テレビ系列で全国放送される)

   助任(女子)が決勝Tへ
 「ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会」は十一日、東京体育館など都内六会場で、男女各四十九チームが十六組に分かれ、決勝トーナメント進出をかけたグループ戦計九十八試合を行った。
十二日は、決勝トーナメントに勝ち上がった男女各三十二チームによる一、二回戦と準々決勝が行われる。
県代表の女子・助任は木崎野小(青森)とのフルセットの熱戦を落としたが、みつわ台(千葉)には快勝して決勝トーナメントに勝ち進んだ。
十二日の一回戦は東金町(東京第二)と対戦する。
◇グループ戦第一戦 木崎野小(青森)2(11−15 15−3 15−10)1助任
◇同第二戦 助任2(15−9 15−4)0みつわ台(千葉)

   女子・助任も善戦及ばず
 「ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会」は十二日、東京体育館などで、グループ戦を勝ち抜いた男女各三十二チームによる決勝トーナメントの一、二回戦と準々決勝を実施。
一回戦で東金町(東京第二)と対戦した県代表の女子・助任は善戦及ばず敗退し、上位への進出は果たせなかった。
助任は第一セット、相手の多彩な攻撃に井上詩、矢野智のブロックなどで対抗したものの、思ったように加点できず、落とした。
第二セットも、ボールを手堅くエース横井につなぐ戦法を取ったが、相手の守備を崩し切れなかった。
◇・・女 子・・◇
◇決勝トーナメント一回戦 東金町(東京第2)2(15−9 15−6)0助任

   助任バンビ(渭北スポーツ少年団)善戦
 ライオンカップ第十八回全日本バレーボール小学生大会が八月十日開会。
翌十一日東京体育館など都内六会場で決勝トーナメント進出をかけたグループ戦が行われました。
助任バンビは木崎野小(青森)とのフルセットの熱戦を落としましたが、みつわ台(千葉)には快勝して決勝トーナメントに勝ち進みました。
十二日、過去二回全国優勝している東金町ビーバーズ(東京第二)に善戦しましたが、力及ばず、残念ながらベスト16への道を絶たれました。
どのチームも応援がすごく、私達は阿波踊りの鐘を持参しました。
選手達の一挙一動を見守りながら、決まったかと私達がガッツポーズをしかけてもまだ拾う、まだつないでいる。
さすがに各県を勝ち抜いてきているだけのことはあり、ちょっとやそっとでは得点につながりませんでした。
東金町戦、得点は二セットとも10点に届いていませんが、サイドアウト、サイドアウトの繰り返しで試合時間も長く、中身のこい試合でした。
勝った試合、負けた試合、宿舎での行事等この夏の思い出は一生の宝物になったのではと思います。
そして忘れてはならないのが、たくさんの協力があってこその全国大会行きでした。
監督をはじめ監督御家族、他チーム、諸先輩方の練習応援、渭北地区の皆様、各家庭の家族。
監督、選手、保護者、みんなが一つになって行った全国大会、いつまでも心の中に残してほしいです。
八月二十二日〜二十四日には公式戦最後の大会がありました。
あのサウナのような体育館の練習を忘れるな!!心身共に一回り大きくなった助任バンビ、頑張れ!!・・・ほほえみ第111号より


東京体育館入場行進



助任ー東金町(東京第二) 
ブロックする助任・藤川Eと矢野D

助任バンビの子供達を応援いただきました皆様へ 平成10年 9月吉日 助任バンビ後援会 会長 井上秀二

           ライオンカップ全国大会出場のご報告及び御礼

 残暑厳しい毎日ですが、皆様方には益々ご健勝のことと存じます。
またこの度は助任バンビの子供達にご声援を賜り誠に有り難うございました。
遅くなりましたが8月10日から8月13日まで行われましたライオンカップ第18回全日本バレーボール小学生大会の結果を御報告致します。
過去2回優勝経験のある名門チーム、東金町ビーバーズに善戦及ばず上位進出はなりませんでした。
2年、3年かけて作り上げてきた他県のチームに対し、わずか8ヶ月足らずの試合経験しかない助任バンビでしたが、可原監督以下子供達の元気あふれるプレーに私たち父兄は大変感銘を受けました。
また子供達もバレーボールを通じて他府県の子供達と友情の和を広げることができ、一段と成長したように思われます。
このような場を与えていただき本当に有り難うございました。
本来ならば私どもが挨拶に出向くべきではございましょうが、何分大勢の方々よりご声援を賜っておりますものでこれ以上ご挨拶が遅れてはと思い、大変失礼ではございますが本状にて代えさせていただきました。
またこの10月24日、25日には助任小学校体育館において「全国大会出場記念第14回少女バレーボール助任大会」の開催を予定しておりますので、一回り成長した子供達に応援をいただければ幸いに存じます。
末筆になりましたが皆様方の益々のご多幸を祈念致しつつ御礼とご報告に代えさせていただきます。
どうも有り難うございました。

  監督、コーチ、マネージャーへ  「子供達からのお礼の手紙」

    感謝状・・・井上詩織
 全国大会では、いろいろとお世話をしてくれて、ありがとうございました。
わたしたちは、あらためて全国のレベルの高さをしりました。
ほかのチームは、全部、強かったです。
それに、わたしたちがここまでこれたのも、おうえんしてくれた、市のみなさん、ふけいのかたがた、練習にきてくれた川内北、鳴門第一、いろいろなお世話をしてくれた、マネージャー、コーチのかたがた、そしてなによりバレーボールを教えてくださった、かんとくさんのおかげだと思います。
次の県大会は、わたしたち六年生にとって、最後のこうしき戦です。
いっぱい強いところがいるくじですが、全力をつくして優勝します。
最後まで本当にありがとうございました。
県大会も、よろしくおねがいします。

可原監督、井上コーチ、藤川マネージャー様 
全国大会は本当にありがとうございました・・・2番 香川 奈留美
 ついこの間の、第18回小学生バレーボール全国大会の時は、指導、お世話をしてくれて、どうもありがとうございました。
私は、今までに監督にきびしくしかられ自分の思っているプレーができなかった時は、とてもつらく、何度もやめようと思ったことがあります。
でもみんなにはげまされたり、監督にも、「おまえらが、にくくて、おこんりょんとはちがうんぞ。」といわれると、少しはつらくなるけれど、おこられても、「自分をもっともっと強くしてくれているんだ。」と思うと「もっともっとがんばろう」と思うようになってきました。
それで、全国大会は、決勝リーグの1かい戦で負けてしまったので、県大会は、くいの残らないプレーをして優勝したいです。
だから、みんなで、ライオンカップの決勝の時みたいに力を合わせて、大きな声、元気を出して、がんばりたいと思っています。
この県大会で、監督は5年生のチームにうつるので、本当にみんなでがんばりますので、最後まで、よろしくおねがいします。

{かんとく、コーチ、マネージャー}さんへ・・・実希より
 8月10日〜15日の間、お世話になりました。
かんとくにはバレーのことでいろんなしじをしてくれたし{コーチやマネージャー}さん達は宿はくの時に見回りに来てくれたりシーツのことなどを教えてくれたし、本当にとても感謝しています。
私達が無事に東京に行って帰ってこれたのも、{かんとく、コーチ、マネージャー}さんのおかげだと思います。
5日間、本当にお世話になりました。
この感謝の気持ちを、絶対に忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございました。

監督、コーチ、マネージャーさん全国大会おせわになりました。・・・理恵
 全国大会で8年前の先ぱいをぬけなっかたけど8年ぶりに助任バンビがライオンカップで優勝できてうれしかったです。
それは監督や、コーチやマネージャーさんやみんなが応援してくれたからです。
本当にありがとうございました。
東京体育館で試合をしたときすごくきんちょうしてて、思うように体がうごかなかったけど監督が楽しめ、東京で楽しく試合して帰ろと言うとなんか体が軽くなってきておもいっきりプレーできました。
コーチやマネージャーさんやみんなが応援してくれたのでもあります。
東かな町の時、自分達がどれだけ打ちにくい3まいブロックをしてたかよくわかりました。
3まいブロックされたの始めてだったし・・・。
東かな町に負けた時、くやしかったからこんどした時はぶったおしてやると思っていました。
その根性は監督がきたえてくれたと思います。
本当にありがとうございました。
こん度また同じ全国大会があるなら、絶対に優勝できるよう強いチームになっていたいです。
県大会も応援よろしくお願いします。
ほんとうにありがとうございました。

監督・コーチ・マネージャーへ・・・5番 矢野 智子より
 今年、私たちは、夢にまでみた全国大会に行くことができました。
私たちも、毎日の練習・1つ1つの試合をいっしょうけんめいにがんばりました。
でも、それ以上に、監督・コーチ・マネージャー・父兄の方々の、手助けやはげましがあったからこそ、全国大会に行け、東京体育館で試合ができたのだと思います。
父兄の方々が、いろいろな所に遠征について行ってくれたおかげで、たくさんの試合経験をつむことができました。
練習では、監督にすばらしい指導をいただいたのに、私の技術が足りないばっかりに期待にそえるプレーができなくて、監督をおこらせもしました。
でも、クイックやツー攻撃などの新しいことを教えてくれた時は、とてもうれしかったです。
井上のおばちゃん・藤川のおばちゃんは、宿舎でも、たった2人でたくさんのユニフォームやくつ下を洗ってくれたり、いろいろな心づかいをしてくれました。
また、市の監督をはじめ、市少女バレーボールクラブのみなさんも、よくお世話をしてくれました。
東京にもついてきてくれて、食事やおふろにも不便な宿舎にとまりながら、毎日応援に来てくれました。
応援の声を聞くと、とても勇気ずけられ、「がんばるぞ」をいう気持ちが強くなりました。
全国大会では上位までいくことができなくて、とてもくやしいです。
もし、もう1度全国大会に行けるものなら、もう1度行きたいです。
でも、全国大会に行けたことは、一生のいい思い出になりました。
この思い出をつくってくれたみんなに感謝して、県大会ではみんなの期待をうらぎらないように、6人で力を合わせていっしょうけんめいがんばり、もう1度県下1位のチームになりたいです。
それから、ずっといっしょに、汗を流し、監督におこられ、ほめられてきた6人なんだから、県大会が終わっても、ずっと六人で仲良くがんばっていこうと思います。
そして、楽しい思い出いっぱいで、バンビを卒業していきたいです。

監督、コーチ、マネージャーへ・・・6番 藤川 里沙
 東京に行くには、時間もお金もかかるから、父兄の方々がみんなで、寄付を集めてくださいました。
そのおかげで、私達は東京へ行くことができたんだと思います。
そして、かんとくが練習できびしくたくさんの技術やバレーを教えてくださり、試合に勝つことができました。
コーチ、マネージャーは、宿舎でも私達の知らないところで、健康かんりをしてくださって、12人は、元気に
すごすことができました。
かんとく、コーチ、マネージャーの他にも、練習試合に来てくださった、川内北、鳴門第一、や他のチームのかんとくさん。
いろいろな人々が「助任バンビ」にかかわって、応えんをしてくれました。
とくに、市のみんなは私達と一緒に東京までついて来てくれました。
市と東京に行くと言うことを知った時は、びっくりしましたが、それだけ助任バンビのことを思ってくれていると思うと、「がんばらなければ」と言う気持ちになってきました。
全国大会では、「東金町」にざんねんながら負けてしまい、みんなとてもくやしい思いをしました。
もし、また東金町と試合ができれば、ぜったい負けません。
全国大会は上へあがって行くことができなかったけれど、このくやしさをいかして、県大会では6人が一生けん命にプレーをして優勝をねらい、がんばります。
第18回小学生バレーボール全国大会出場と言う人生で2度とない大切な思い出をくれて本当にありがとうございました。
助任大会まで少ししかありませんがよろしくおねがいします。

かんとく、コーチ、マネージャーへ・・・しげき しずかより
 わたしは、東京体育館に行ったとき、ものすごくビックリしました。
こんなおおきい体育館は見たこともないからです。
わたしは、おうえんだけだったけど、全国は、わたしが、おもっていたよりすごかったです。
決勝を見ていると、スピードもすごく早いしサーブも、すごく強いし、とっても、ビックリしました。
わたしも、クッキーズのセッターみたいに、早いこうげきが、できるようになりたいです。
かんとく、コーチ、マネージャー、ほんとうにおせわになりました。
ありがとうございました。

かんとく、コーチ、マネージャーへ・・・田村 真綾
 このあいだ、東京へ行った時は、どうもありがとうございました。
6年生の試合を見て、6年生はかんとく・コーチ・マネージャーのおかげでこんなにつよくなったと思いました。
わたしも今の6年生みたいにつよくなっていろいろな試合で優勝したいです。
BがAになってライオンカップの県大会で優勝して、東京に行けると思います。
それまでにいろんなチームと試合して今の6年生にも負けないぐらいつよくなりたいです。
今までの6年生はとてもつよかったので、わたしたちのチームもそれぐらいつよくなりたいです。
かんとく・コーチ・マネージャー本当にありがとうございました。
かんとくは、これからもいろいろとおせわになると思いますが、今の6年生のコーチ・マネージャーにはおせわになることは、あとすこしと思います。
あとすこしの間、よろしくおねがいします。

かんとく・コーチ・マネージャーへ・・・三好 瞳
 東京へ行った時は、どうもおせわになりました。
今の6年生は、かんとくやコーチ、マネージャーのおかげでこんなにつよくなれたんだなぁと思いました。
今のBはよわいけど6年生になってAになったら、東京にいって優勝したいです。
そして、そのチームのなまえや、いろいろなことをおしえてもらって、試合をしたいです。
BもAにまけないぐらいのチームがいいなぁと思います。
そしてしあいをして、優勝したいです。
かんとく、コーチ、マネージャー本当におせわになりました。
かんとくはまだいろいろおせわになると思うけど、コーチやマネージャーとはあとすこしですが、よろしくおねがいします。

かんとく・コーチ・マネージャーへ・・・井上 未来
 東京に行った時は、おせわになりました。
6年生たちの試合は、とてもすごかったです。
私たちも6年になれば、今の6年生みたいに、全国大会に行けると思いますか。
私たちが6年生になったら全国大会にいって、優勝したいと思います。
6年生たちがここまでこれたのは、かんとくコーチマネージャーのおかげと思います。
だから今のBチームも東京にいけるような強さにして下さい。
私たちは、まだ弱いけれどこれから強くなると思います。
Bも今の6年生みたいに強くなりたいです。
私たちもがんばるので今の6年生みたいにして下さい。
おねがいします。
今の6年生のコーチとマネージャーに、おせわになるのは、後すこしですが、いろいろおしえて下さい。
かんとく、今の6年生は、教えてくれたから強くなったんですか。
それとも努力してこんなに強くなったんですか。
かんとくコーチマネージャー本当にありがとうございました。

先日はいろいろと・・・佳那より
 いそがしいところを東京ではいろいろとおせわになりました。
藤川マネージャーこれからもよろしくお願いします。
いろいろありがとうございました。
私もこれからバレーボールの練習にはげみます。

かんとく、コーチ、マネージャーの人へ・・・矢野 みどりより
 私は、ライオンカップでゆう勝してとてもうれしかったです。
かんとく、コーチ、マネージャー、お父さん、お母さんたちが、たくさんのきふを集めてくれたので、東京に行きたくさんの思い出ができました。
しゅくしゃでは、井上のおばちゃん、ふじ川のおばちゃんたちがみんなのたくさんのユニフォームやはちまきなどをあらってくれてありがとうございました。
客席で、大きな声を出し応えんしてくれた、市のかんとく、市のみんな、お父さん、お母さんたちが最後まであきらめずに応えんしてくれて、とてもうれしかったです。
一点取るごとに、ガッツポーズをしてよろこぶかんとくを見て私もうれしくなりました。
そして、ベンチの応えんをもっともっとがんばろうと思いました。
私は、六年生の一生けん命している試合を見て、きっといままできびしい練習してきたから、ゆう勝して全国大会にこれたのだと思いました。
けっ勝せんの大井クッキーズの試合を見てアタック、レシーブ、サーブ、ブロックを見てとてもおどろきました。
みんな楽しそうに、しんけんにしていました。
私はこれから、練習する時は、一生けん命しんけんに、ゆう勝することを目ひょうにがんばります。

             ありがとうバレーボール、今さわやかな思い出を残して」

    バレーボールに出会って
 私が初めてバンビに入ったのは、小学2年生の6月でした。
そのころは、奇数と偶数もわからず、先輩にはめいわくばかりかけていますた。
そして何ヶ月かたち少し成長したころ、部員は7人でした。
そのころ初めてレギュラー争いしました。
相手は去年のキャプテンです。
ポジションはバックライト。
私はレギュラーに選ばれず、ほけつになっていました。
でも試合にはちょびちょびだしてくれました。
ある日、また監督が試合にだしてくれました。
サーブは私です。残暑の厳しい日でした。
「どうせはいらんけど。」と思って打ったサーブが相手のレフトアタッカーのところへはいり、それがサービスエースになりました。
そのとき私の目はなみだでいっぱいでした。
初めてサーブがはいり、それがサービスエース。あのよろこびは一生忘れません。
そして私たちは4年生で全員そろいました。でもその時は、AとBに3人、3人でわかれました。
思えばあの時、何度も何度もアウトサーブをさわり、よくベンチにもどされ監督におこられたものです。
そんな私も5年生6人で8月の県大会へ出場しました。
私たちにとって初めての公式戦でした。
1回戦不戦勝。
2回戦は苦戦して何とか勝ち上がり3回戦くわ島にはボロ負け。
その時は、涙なんかありませんでした。
そして助任大会が終わりいよいよ私たちの時代がやってきました。
私は「東京にいくぞ!!」と目標をきめてスタートしました。
でも練習はじょじょに厳しくなってきました。
そして3月の県大会はおしくも川上若あゆに破れました。
半年前とは別人のように泣きました。
4月の海南大会。
この時、初めてクイックを使いました。
でも、うまくいかず2回戦で負け、監督にひどくおこられて、やめようとみんなで監督に言いにいきました。
でもけっきょく結果は「やめられない。」でした。
何度もまたやめると言いにいったことはあるけれど、やはりやめられませんでした。
そしていよいよライオンカップ。
小学生ラストの一番大きな大会です「優勝するぞ。」そう思って試合にのぞみました。
そしてどんどん勝ち進み、決勝までたどりつきました。
みんなの思いを色紙にこめて書きました。
決勝の一週間前、つらいことがあれば何度もその色紙を見ました。
練習は川内北と鳴門第一が手伝ってくれました。
そして、7月5日。
ここまできたんだから絶対勝ちたいと思いました。
相手は北斗七星です。
そして第3セット。涙の15点目・・・・・・・・・・・。
もちろんみんな泣いています。
これで全国大会に行ける。
東京でバレーができる。
その時、初めてサーブがはいった時のことを思い出しました。
「思えばあの時、ここまでくるなんて、夢にも思っていなかったなあ。」でも、厳しい練習は終わったわけではありません。今度は全国大会にむけての練習です。
つらくても、苦しくてもなにかの言葉が私をささえていました。
「がんばろう!!」といつもいいきかせていました。
全国大会ではクイックを使うチームが多く、その速さにブロックがついていけなかったこともあり、苦戦をかさねましたが、本戦まで勝ち上がりました。
でも東金町ビーバーズに負けてしまいました。
一生けん命がんばったのでくいはありません。
よい思い出ができたと思っています。
楽しかった全国大会も終わり、ついに最後の公式戦である8月の県大会が一週間前にせまりました。
そこでまたクイックの練習を始めました。
わたしは、平行、A、C全部ほどほどに打てました。
アタッカーほどのい力はないけどタイミングやどこに打てばよい球が打てるかはわかっています。
それにクイックは得意な方でした。
県大会は川上若あゆに敗れました。
でもライオンカップはとったし県大会は次の大会だから、大事な助任大会にかけようと、そう思いました。
今思うとサーブが初めてはいったころから、何かついていたような気がします。
もう私たちは卒業しますが、また後輩達にライオンカップで優勝してほしいです。
ガンバレ!!助任バンビ!!・・・キャプテン センター井上詩織(しおり)

    バレーボールとは
 私がバレー部に入ったのは、3年生の春です。
その間に楽しかったこと、悲しかったこと、うれしかったことがたくさんありました。
最初入った時は、すごくうれしくて早く練習に行くと友達とよくパスをしたのを覚えています。
でも、5年生の2学期に新チームができたころから、自分がミスをすると監督に厳しくしかられ、自分にくやみ、何度も「もうやめよう。」や「今日の練習には行きたくない。」などといったことがありました。
でも監督に「にくくておこっているのではない」と言われ、もう今ではおこられても「がんばろー」という気持ちになってきました。
そして一番うれしかったことは、監督、コーチ、マネージャー、お父さん、お母さん、応援してくれた淡路の市少女バレーボールクラブのみなさんと一緒にライオンカップ全国大会で東京へ行ったことです。
県大会で優勝した時はすごくうれしくてみんなでうれし泣きをしました。
全国大会では、予選リーグを1位で通過したけれど、決勝トーナメントは1回戦で負けてしまいました
。ベスト8くらいまでいきたかったけど決勝トーナメントまでいけたのでよかったです。
私はバレーボールを始めてから自分で体がすごく強くなったなと思います。
それに精神力もつきました。
試合で負けそうになった時みんなではげまし、また自分では心の中で「負けない。ぜったい勝つんだ。」と思いながら試合をしました。
そして試合の前のイメージトレーニングをはじめてからは体が動くようになりました。
だからバレーボールをしていると精神力がつくし生活面のことも身につくのでスポーツにも生活でもいいものだと思います。
それともうひとつは、バレーボールの交流で県内外の子と友達になれたのが私はとてもうれしいです。
毎日のように届くいろんなチームの文通相手の子の手紙を読むと、みんなそれぞれのチームでがんばっているので私も負けないようにがんばろうと思いながら練習に通っています。
だからこれからのチームの子にもバレーボールの楽しさを知ってほしいと思います。・・・バックレフト香川奈留美(なるみ)

    ありがとう バレーボール
 「やったあ。優勝だ!!」そのしゅんかん、大粒の涙があふれ出てきました。
6人で力を合わせて一生けん命がんばったから「ライオンカップ徳島県大会優勝」という、最高の結果を残すこたができました。
信じられないほどうれしかったです。
あの時の感動は今でも忘れることができません。
私達は8月に東京で行われた全国大会に行きました。
全国のたくさんの強いチームのプレーを見て本当におどろきました。
本当に同じ小学生かと疑ったほどです。
ここにきて全国レベルにまだまだ届かない私の力の無さをずっしりと実感させられ、「まだまだがんばらなくては。」という気持ちになりました。
徳島県で優勝して全国大会に行く事ができて、一生心に残るすばらしい思い出ができました。
でもここまでくるにはつらいことが数えきれないほどありました。
監督におこられて泣いたあの日。
真夏の閉め切った体育館での厳しかった練習。
自分たちより強いチームを見て「こんなチームに勝てるはずがない。」と自信をなくしたり、「もうバレーなんかやめたい。」本気で考えたりしました。
でもそのたびに家族ら周りの人に支えられて、私は今までバレーを続けることができました。
もしあの時、自分の気持ちに負けてバレーをやめていたらこんなすばらしい経験はできてなかったと思います。
ですからあの時はげましてくれたみんなに心から、「ありがとう。」と言いたい気持ちでいっぱいです。
また指導をしてくださったk監督。
遠征につれていってくれたり、試合のとき応援してくれた保護者のみなさんにも本当に感謝しています。
楽しいことやうれしいこともたくさんありました。
6人の力で初めて徳島市の大会で優勝したときは、とてもうれしくてみんなで泣いてしまったのを覚えています。
また泊りがけで試合に行ったり、他のチームにたくさんの友達ができました。
バレーボールから教わったものは技術だけではありません。
「礼儀、友情、チームワーク」や、人間として大切なものをたくさん教わりました。
後輩のみんなにもこういうことをいかして悔いの残らないプレーいい思い出をたくさん作ってほしいです。
私にかけがえのないすばらしい思い出をくれたバレーボール。
本当にありがとう!!・・・セッター矢野智子(ともこ)

    私とバレーボール
 私がバレーボールを始めたのは、3年生の6月でした。
その時は学校でくれた案内書を見ておもしろ半分ではいりました。
最初はレシーブもできなかったしサーブも入らなかったけど、部員数が少なく入ってあまりしないうちに練習に参加でき、2ヶ月、3ヶ月と続けていくと3ヶ月目にはさか立ちができるようになったりサーブが入ったりするようになり、その時はこの2つをしにバレー部に来ていました。
でもしばらくすると6年生の先輩達が一生けん命おしえてくれたレシーブができるようになり、練習で監督の球がとれた日には家に帰るなり「今日な今日な、プロみたいにレシーブできたんじょ。」と家族に自まんしていました。
4、5年生になるとBチームの一員として試合や練習試合にだしてもらい「本当のバレーボール」を経験しました。
そして5年生の10月に先輩達は卒業し、いよいよ私達のチームで徳島市の新人戦にでられるようになりました。
決勝戦で川内南とあたり苦戦しながらもみごと優勝を手にすることが出来ました。
それからも何度か試合を重ねいよいよ6年生の6月、バレーボールの本番、ライオンカップがやってきました。
シード権で助任バンビは2日目からでした。
1試合目、2試合目と順調に勝ち進み、市のリーグ戦で引き分けだった大松に2−1、勝ったことがなかった藍住西にも2−0で勝つことができ、ついに決勝戦までたどりつきました。
その時は本当にうれしかったです。
決勝戦を来週にひかえると川内北の選手達が練習を手伝いに来てくれたりしました。
−−−ついに決勝戦の日、7月5日がやってきました。
前日の夜、こうふんしてなかなかねむれず、その日の朝も心臓は高鳴り、きんちょうして旨がはりさけそうでした。
「この日のために一生けん命練習して、メンタルトレーニングもしたんだ。絶対に勝たなければ。」と何度も自分に言い聞かせ決勝戦にのぞみました。
男子の決勝が終わりいよいよ私達の出番です。
会場はとても広く四方でカメラマンがかまえていたので、体じゅうがガチガチにきんちょうしていました。
ピー。
決勝戦が始まりました。
サーブ権は助任。
はじめは順調に連続で5点とれ、「お、これはいけるかもしれない。」と思いきや、相手にサーブ権を取られるとあっという間にひっくりかえされ、9−12まで取られてしまいました。
でもそれからブロックが連続で決まり、1セット目は15−12で取ることができました。
2セット目は1セット目を取ったので気がゆるんだのか、私も連続ミスをしたし、みんなも調子がよくなかったみたいで、結局3−15で負けてしまいました。
でも2セット目が終わった時、「これはいけるかもしれない。」と思いました。
そのわけは、私達は3セットまで行くと必ず勝つからです。
3セット目が始まりました。
始めは7−10だったけどじわじわと追い上げ、ついに14−10まできました。
「あと1点、あと1点。」サーブは入ったけど、相手にきめられサーブ権は北斗の方へ行ってしまいました。
でもその後アタックが決まり、助任にサーブ権が回ってきました。
そしてサーブが入り、アタックが決まって−−−ピピー。
試合終了。
あとからあとから涙があふれてきてとまりませんでした。
私達助任バンビは、徳島の小学生チームのちょう点に立つことができたのです。
私達があの日勝つことができたのは、今まで応援してくれていた人たち、家族そして監督のおかげだと思います。
本当に今までお世話になりました。
私はあの日のことを決して忘れません。
すてきな思い出をありがとうバレーボール。
そしてさようなら。・・・バックライト古高実希(みき)

   バレーボールでの思い出
 私がバレーボールを始めて3年間いろいろな思い出ができました。
淡路や高知に行って試合をしてたくさんの友達ができました。
徳島市の新人戦では初めて優勝しました。
その時のうれしさは今でも覚えています。
でもそんな楽しいことばかりでなくつらいこともたくさんありました。
監督におこられて自信を失いかけたり、泣いたりしたときは「もうバレーなんかやりたくない。」とか「やめたい。」と思っていました。
けれど、みんながはげましてくれたおかげで続けてこれました。
ありがとう。
3年間の中で一番の思いではライオンカップで優勝したことです。
ライオンカップの準決勝で藍住西に勝って、決勝で北斗七星にあたりました。
北斗七星とは何回かしたけど一回も勝った事などありませんでした。
1セット目ははっていました。
思っていたとうり強かったです。
でもがんばって勝ちました。
2セット目は相手のサーブで負けてしまいました。
3セット目になり気合をいれてがんばりました。
最初は負けていたけど途中から逆転して勝ちました。
優勝です。
8年ぶりでした。
うれしくて、うれしくて涙が止まりませんでした。
それから全国大会に向けて練習をがんばりました。
その時、監督におこられても一度もやめたいとは思いませんでした。
8月10日、生まれて初めて東京体育館を見ました。
大きくてびっくりしました。
11日の予選では、青森県の木崎野小クラブと千葉のみつわ台とあたりました。
結果は木崎野小クラブには1対2で負けてしまいましたが、みつわ台には2対1で勝ちました。
予選はなんと1位でした。
うれしかったです。
泊まった所はとてもきれいでした。
たくさんのチームの子と泊まりました。
楽しかったです。
12日の本戦では東京の東金町ビーバーズとしました。
とても強かったです。
0対2で負けてしまいました。
その時のくやしさは今でも覚えています。
13日は決勝戦を見ました。
優勝したのが大井クッキーズでした。
ほとんどがクイックでカットもきれいでした。
私は大井クッキーズのことをすごいと思ったのと、私も東京体育館の1面コートで思いっきりプレーしたいと思いました。全国大会にこれたのはチームのみんなやお母さん、お父さん、保護者のみなさん、そして監督のおかげです。
本当にありがとうございました。
この感謝を忘れずに、これからもバレーボールを続けていきたいと思います。
新チームのみなさんつらいこともあるけど、そんなことに負けずライオンカップで優勝してください。
自信を持ってがんばってね。
新チームのみんな今まで応援ありがとう。
がんばれ助任バンビ!!・・・レフトエース横井李枝(りえ)

   全国大会での思い出
 私が助任バンビに入部したのは4年生の10月、ちょうど今から2年ほど前でした。
入部したばかりのころはアタックはもちろんレシーブもできませんでした。
そんな私をここまで育ててくれたのがK監督でした。
苦しい練習をたえ、おこられてもがまんして淡路やいろんなところに練習試合や大会に行き、たくさんのチームと戦いました。
時には試合に負けくやしい思いをしたこともありました。
こうしてどんどん強くなった私達に、とうとうやって来たライオンカップ。
私にとって初めてのライオンカップ。
強いチームにも1試合1試合勝ち続け、7月5日のライオンカップ決勝戦。
思ったよりもリラックスしていた私は、アタックの調子もよかったけれど、やっぱりそこは決勝戦、練習どうりのプレーはできませんでした。
3セットまでもつれこみ、接戦の末優勝。
その時はうれし涙を流しました。
東京では東京体育館の大きさと広さにびっくりして、1試合目は緊張しましたが2試合目はいつもどうりの力を出して勝つことができ、決勝トーナメントにあがることができました。
選手村では全国のチームと一緒に生活して楽しい思い出がたくさんできました。
強いチームもいて全国レベルは高く、きっとすごい練習をしているんだろうなと思いました。
私たちは決勝トーナメントで負けてしまったけど、これからのチームには私達よりももっと強くなって全国大会で優勝できるぐらいになってほしいと思います。
そしてチームワークを大切になかよく楽しくバレーを続けてください。
私もバレーボールから学んだことをこれからも勉強やスポーツに生かしてがんばっていきます。
助任バンビに入って心からよかったです。
監督、そしてお世話になった方々、本当にありがとうございました。・・・ライトエース藤川里沙(りさ)

   感動の嵐の中で
 平成10年7月5日第18回ライオンカップ徳島県大会決勝戦に8年ぶり2度目の進出をはたしました。
平成2年に全国大会に出場してから8年の月日が流れていました。
全国大会に出場した翌年より部員不足が数年続きここ2、3年やっと部員にめぐまれて満足のいく試合が出来るようになりました。
平成9年ライオンカップ予選で力を出し切れずベスト8に終わってから1年間、きびしい練習に取り組んでこの日を向かえることができて本当によかったと思いました。
3月の新人戦でベスト8になりシード権を得てこのライオンカップに望みました。
3月から体育館の窓を全部締め切ってサウナのような状態で暑さの対策をし、毎日曜日に淡路へ練習試合に出かけ体力、気力の充実した中での決勝戦でした。
決勝は2−1で北斗七星(藍住町)を破って2度目の全国大会出場を決めました。
全国大会出場の日まで後援会の皆様が寄付金集め等でがんばってくださって、何不自由なく全国大会に望めました。2度目ということもあってだいたいの雰囲気はわかっていましたが、フリーポジションの全国レベルの速さにはびっくりしました。
やはり全国に通用するには速攻が必要と実感しました。
結果は予選突破は果たしましたが決勝トーナメント1回戦で敗れ、前回を越えることは出来ませんでしたが、いい勉強になり今後のチーム作りの参考になり帰ってすぐに取り組んでいます。
幸いにも部員も6年生が卒業しても10人余り残るので東京で勉強したことをむだにしないようにがんばりたいと思っています。
数ヶ月で嵐のように過ぎ去った日々、感動の日々を部員、保護者、指導者共々忘れることなく明日につなげて次の全国大会を夢見て練習に励みたいと思います。
徳島市内のチームが来年のライオンカップで全国大会出場が出来るよう祈っております。
ありがとうございました。・・・カーサン

   第18回全日本バレーボール小学生大会出場記念 第14回少女バレーボール助任大会
 去る十月二十四、二十五日、助任小学校体育館にて、京都府、兵庫県、四国四県の全国大会出場校と県内チーム、あわせて二十四チームを招待して助任大会を開催しました。
助任バンビは、六年生チームと四、五年生チームの二チームの参加です。
助任バンビAこと六年生チームは、いろんなことがあったこの一年を胸に、思いっきりプレーしました。
思い出がいっぱいの赤、白のユニフォームが着れるのもあとわずかです。
少し寂しいけど、それと引き替えに宝物は心の中にたくさんできました。
一日目Aコート第四位、二日目Aコート優勝という成績で幕を閉じました。
助任バンビBこと五年生、四年生チームはこれからのチームです。
今大会では一勝することはできませんでしたが、一つ試合をするごとに、練習試合にいくたびに、成長していく楽しみな子ども達です。
この助任大会を境に、新チームにバトンタッチです。
六年生はお世話になった監督に花束とサインボールを、新チームには思い出ボールを贈りました。
試合にいくときは、忘れず持っていって下さいね。
最後になりましたが渭北地区の皆様、一年間ご声援くださり本当にありがとうございました。
歩きだしたばかりの新チーム、助任バンビをこれからもよろしくお願い致します。
「私達はいつまでも助任バンビを応援します!!」(六年生後援会一同)・・・ほほえみ第114号より 

H11.1.1沖州海岸 初日の出!

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