平成9年度

 
徳島市リーグ戦 1位
庵治記念大会 決勝 2位ゾーン 優勝
* 徳島県新人大会 第三位
海南大会 Aゾーン 準優勝
徳島市大会 C組 優勝 (24)
* 石井藤花杯 準優勝
ライオンカップ ベスト8
* 海部大会 Bゾーン 準優勝
* 川内大会 Cゾーン 準優勝
* 川の日交流大会 優勝
スポ少四国大会 1位
* 徳島市小学生大会  (24)
* 徳島県選手権大会 ベスト16
* 一宮大会 B組 優勝
10 第13回助任大会 エース 初戦昭和 2回戦国府
     決勝戦Jエコーに勝って 優勝
ジュニア 初戦市 2回戦志度 
      得失点差で第3位 (40)
 
* 津田大会 準優勝
* 日和佐大会 第3位
* 神領大会 第3位
11 徳島市小学生新人大会 B組 優勝 (21)
12 松心大会 準優勝
徳島市リーグ戦 第1位
* 淡路親善大会 第3位
* 徳島県小学生新人大会 ベスト8


  エース 愛・佑季子・奈美・理子・美佳・沙耶香・・・6年 しずか・瞳・・・4年

  ジュニア 詩織・奈留美・実希・李枝・智子・里沙・・・5年 碧・智美・智聖・・・4年

        「ありがとうバレーボール、今さわやかな思い出を残して」

   
「長くて短かったバレーボール」
 私は、3年生の秋からバレーを始めました。
そのころは部員が少なく、サーブも入らないのに試合に出ました。
だけど、先ぱい達が一生けん命カバーをしてくれました。
何ヶ月がたって、初めて練習試合でサーブが入った時には、みんなが自分のことのように喜んでくれました。
やめようと思ったことも何回かあったけど、ずっとあきらめずに練習していて、よかったなあと思いました。
4年生になって、同じ学年の友達がバレーに入ってきて6人そろいました。
けど、4年生の時は6人で試合には出れませんでした。
5年生になって、初めて一宮大会に6人で出ました。
始めはドキドキしていました。
「優勝しような。」試合が始まる前に、みんなこのようなことを言っていました。
みんなのチームワークで一宮大会優勝したことは今でも心に残っています。
6年生になって、いろいろなことがありました。
市大会、県大会。
一番心に残っていることはライオンカップです。
おしくも準々決勝で川内南に負けてしまいました。
あの時のくやしさは今でもよく覚えています。
けどつらいことばかりではありません。
淡路や高知に行って泊まりで試合したことが何回かありました。
試合で負けて泣いたり、かんとくにおこられて泣いたり、もうバレーなんてやめたいと思って泣いたこともありました。
でもあきらめずに続けられたのは、友達のおかげです。
試合中、おちこんでいたわたしにを、はげましてくれた友達に感謝しています。
私たちは、3月に卒業していくけど、ずっと、ずっと、助任バンビを応援しています。・・・キャプテン セッター桜木愛(あいちゃん)

   「バレーボールの思い出」
 私がバレー部に入ったのは、3年生の十月でした。
先ぱい達に誘われて練習に参加すると。
レシーブやパスなど一つひとつの動きを、みんながやさしく、ていねいに教えてくれました。
その先ぱい達のやさしさは、今でも忘れません。
だから、その時はバレーの練習が待ち遠しくて、楽しくて、いつもドキドキ、ワクワクしていました。
その先ぱい達が卒業すると、メンバーが少なくて、何もできないのにレギュラーの一員となり、コートの中でただじっと立っていますた。
相手チームのサーブやアタックが飛んでくると、こわくてよけてばかりいました、なつかしい思い出です。
5年生の後半になると、新チームを組み、試合に出場するようになりました。
5年生6人で初優勝した時は、うれしくてみんなで大喜びしました。
そんな時、「バレーをやめないでよかった。」と思いました。
春の県大会はベスト4、ライオンカップはもっと上をねらって「優勝するぞ!!」と、みんなで夢を持ち、つらく、厳しい練習にもがんばってきました。
1回戦、2回戦、3回戦と順調に進みベスト4をねらって川内南と対戦しました。
思いもかけず1対2で逆転されて負けた時、とても悔しくて、みんなで泣きました。
つらく悲しいことでした。
その他にもたくさんの思い出ができました。
淡路や香川、高知など、他県に出かけて、いろいろなチームと対戦しました。
はじめて対戦するチームに勝ち優勝した時ほどうれしいことはありませんでした。
そして、県内外のたくさんの友達と交流を深めることができました。
バレーを通して、いろいろな人と出会い、知り合い友達になれたことが一番の思い出です。
私たちの夢を支えてくださった皆さん、どうもありがとう。
助任バンビ、これからもがんばれ!!・・・レフトアタッカー平岡佑季子(ゆっこ)

   「バレーボールの思い出」
 バレーボールを始めて3年間、牟岐や高知、淡路にも行きました。
行って試合をして、いろいろなことがありました。
突き指をしたり、ねんざをしたり、手の皮がむけたり、痛い思いもたくさんしました。
でも、ちがうチームに友達もできました。
文通をしたり、話をしたり・・・。
いろんな楽しい思い出がたくさんあります。
でも、かんとくにおこられて、そのことがなかなかできなかったり、ぜんぜんのびない時期もありました。
その時は、「もうバレーやめたい」とか、「練習いきたくないなあ」と思いました。
でも、「やっぱり練習いこう」とがんばってきてよかったと思います。
もうすぐ6年生は、試合に出れなくなるけど、今までつらい練習をがんばってきて、本当によかったと思います。
来年の新チームにもがんばってもらいたいです。・・・ライトアタッカー久米理子(まさこ)

   「助任バンビに入部して」
 私がバレー部に入部したのは小学4年の十月です。
だから、もう2年間バレーをしてきた事になります。
始めのうちは、ボール拾いだったけど、初めてサーブやレシーブをした時のうれしさはまだ忘れません。
かんとくも、私の事を少しずつおこるようになり、きびしいとも思いました。
そんな私も試合に出られるようになり、いろんな事を経験して精神も少し強くなったとおもいます。
かんとくにも、よくおこられたけど、試合で優勝した時のうれしさは、言葉では言い表せないくらいです。
だけど、試合で負けることもありました。
負けた時は、くやしくて「次は勝つぞ。」という気持ちがこみ上げてきます。
でも、負けたチームと再試合して、勝てた時は、そのうれしさが何倍にもなり、自信へとつながると思います。
また、応神と初めて試合をした時は、相手のアタックやフェイントがすごくて、私のレシーブはまだまだだと実感しました。暑くてつらかった夏や、寒かった冬も、みんなと共にバレーボールをしてきて、つらかった事やうれしかった事を活かして、いろんな事に挑戦していきたいです。・・・バックレフト七條美佳(みか)

   「バレーとの思い出」
 「はい、こい」と、大きな声が出せるようになったのはバンビに入ってから、1ヶ月くらいたってからでした。
その1ヶ月間は、遊び半分でバレーをやっているつもりでした。
でも、1ヶ月、2ヶ月とバレーをやるうちに、「バレーボール」っていうものが、だんだんわかってきて遊び半分ではなくなってきたのです。
あれからもう2年。
夏の暑い日、体育館の窓を締め切り、汗だくでがんばったこと。
試合で負けてみんなで泣いたくやしさ。
このくやしさが、私に、「がんばる」という大切なことを教えてくれたんだと思います。
小学校のバレーは終わりだけど、バレーでかんとくに教えてもらった、「礼儀、友情、チームワーク」を忘れないよう、中学校に行きたいです。
そして、後はいの子にも、私がこの2年間で習ったことを教えてあげたいです。・・・バックライト島沙耶香(さやか)

ライオンカップ ベスト8 スポーツ少年団四国大会 牟岐少年自然の家
こんなことも! 牟岐海岸にて!

   10月25日 第13回 助任大会
 渭北体育協会30周年記念・第13回少女バレーボール助任大会(助任バンビ後援会主催)が、10月25日(土)、助任小学校体育館、徳島市立体育館の2会場で盛大に行われました。
兵庫県、香川県、高知県などの県外11チームを含め県内各地から40チームが参加し、六年生主体、五年生主体らの5ブロックに分かれてリーブ戦方式で熱戦を展開しました。
Aブロックでは助任バンビエース(六年生チーム)が兵庫J・エコーを破り見事優勝、Dブロックでも助任バンビジュニア(五年生チーム)が3位入賞を果たしました。
さわやかな秋晴れの一日、互いのチームの良さを学び合い交流を深めることができました。
特に、この助任大会が最後になる六年生には思い出となる一日でした。
支援して下さった地域の皆さま、応援に駆けつけて下さった諸先輩、ご来賓の皆様に紙面を借りて暑くお礼申し上げます。
また今後とも助任バンビにご支援いただきますようお願い申し上げます。
(代表者 可原文昭) (ほほえみより抜粋)

庵治記念大会開会式
2位グループ優勝
3.4卒団式 3.25記念写真

助任大会 歓迎のことば
選手宣誓 徳島市立体育館
美佳 祐季子
一年間の軌跡 表彰式
お別れのことば




旅行(東京ディズニーランド)

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