平成2年度

平成元年度徳島県6人制小学生新人大会 優勝 (96)
第3回藍住大会 Bゾーン 優勝
第6回徳島市小学生6人制大会 C組 優勝 (21)
全日本小学生大会県大会 優勝
第四十八回国民体育大会開催決定記念
小学生6人制海南大会
優勝
徳島市小学生6人制大会  (19)
平成二年度徳島県小学生6人制大会 準優勝
第2回津田大会 Bブロック 優勝
10 創部20周年記念第10回ライオンカップ全国大会
出場記念助任大会
A 初戦佐那河内 2回戦藍住南
  決勝戦藍住西 に敗退 準優勝
B 初戦丈六に敗退 (18)
第3回八万大会 A組 優勝
川内大会 Aブロック 優勝
11 第15回県民スポーツ祭 小学生大会6人制の部 Aゾーン 優勝
川上大会 Aゾーン 優勝
徳島市小学生新人大会  (18)


A 紀子・貴美子・晃子・めぐみ・幹子・千壽

B 美和・景子・裕香・英理子・良美・早紀・愛美・夕希・梨菜・真理

       助任バンビ感激の涙

   県新人大会で悲願の初優勝

 去る3月25日から3日間、96チームが参加して行われた県新人大会で、我がチビッコ軍団の助任バンビが初優勝しました。
1、2、3、4回戦、準々決勝戦は順当に勝ち進みましたが、準決勝戦の藍住西には1セット先取された苦しい戦いを、気力で奇跡の大逆転を演じ、決勝戦の強豪羽ノ浦はフルセットの末退け、見事に初優勝に輝き、監督、選手、父兄共々感激の涙でした。
ここ数年、市ではトップクラスですが、県の壁は厚く、準優勝1回、第3位2回と、あと1歩のところで涙をのんできました。
きびしい練習に耐えた成果だと思っています。
6月のライオンカップ県大会に向けて、「練習から猛練習へ、めざせライオンカップ優勝」を合言葉にがんばっています。応援して下さい。(監督 カーサン) (ほほえみ第11号より)

初優勝を飾った助任バンビ、うれしい記念写真です。

全日本小学生バレーボール県大会組み合わせ決まる 実力伯仲の114チーム
あす、松茂、羽ノ浦で開幕戦 決勝は来月1日

 「ライオンカップ第十回記念全日本バレーボール小学生大会」県大会の組み合わせが決まり、十日、松茂町総合体育館、羽ノ浦町民体育館で開幕する。
女子百八チーム、男子六チームが参加、四日間にわたって熱い戦いを繰り広げる。
決勝戦は七月一日に徳島市立体育館で行われ、男、女県代表が決まる。
女子は春の新人戦を制した助任、二位の羽ノ浦、三位の川内北、藍住西をはじめベスト8に残った海部西、阿井、川上若あゆ、鳴門第一がシードされた。
攻撃、守備力ともに安定性ナンバーワンの助任が他チームを頭一つリードするほかは、各チーム実力伯仲。
ノーシードながら猛練習で急激に力をつけた八万、二連覇を狙う応神などが激突、熱戦が期待される。
男女とも優勝チームは、八月十三日から四日間、東京・渋谷の東京体育館などで行われる全国大会に、二、三位チームは同月四、五両日、徳島市で開かれる四国大会にそれぞれ出場する。

         試合度胸満点
   ちびっ子軍団 助任バンビ(徳島市下助任町)
 「レギュラー選手の平均身長が1,43mのちびっ子軍団。
みんなバレーが大好きで、チームワーク、試合度胸とも満点」

 ライオンカップ第十回記念全日本バレーボール小学生大会県大会は二日目の十七日、羽ノ浦町総合体育館と松茂町総合体育館の二会場で、二回戦三十二試合三回戦十六試合の熱戦が繰り広げられた。
シードされていた海部西は三回戦で涙をのんだが、阿井、鳴門第一、川上若あゆ、助任、川内北、藍住西、羽ノ浦は順当に勝ち進んだ。
大会三日目の二十四日は、松茂町総合体育館で、女子四回戦と準々決勝、男女の準決勝が行われる。
女子二回戦 助任2−0論田 三回戦 助任2−0浅川

女子準決勝は、最後の最後までもつれる大接戦の末、鳴門第一が第三シードの藍住西を2−1で下し、優勝候補の助任も、粘る八万を2−0で破った。 
女子四回戦 助任2−0津田 桑島2−0宍喰A 一宮2−0阿井 八万2−1川内北 藍住西2−0小松島 撫養2−0        川上 鳴門第一2−0坂本 羽ノ浦2−0櫛渕
準々決勝 助任2−1桑島 八万2−0一宮 藍住西2−0撫養 鳴門第一2−0羽ノ浦
準決勝 助任2(15−2 15−12)0八万 鳴門第一2(15−11 4−15 16−14)1藍住西

   助任が初優勝(女子) 男子は藍南が連続

 第十回記念全日本バレーボール小学生大会<ライオンカップ>県大会は一日、徳島市立体育館で男女決勝戦が行われた。
女子は助任が、強豪・鳴門第一を2−1の接戦で破り念願の初優勝を果たした。
男子は藍南が羽ノ浦Aをストレートで下し、二年連続の栄冠を手にした。
両チームは、八月十三日から東京都の東京体育館で開かれる全国大会で、各県代表と熱戦を繰り広げる。
また、鳴門第一、羽ノ浦Aなどベスト4に入った男女六チームは八月四日から徳島市で開かれる四国大会に出場する。

   女子決勝 助任2(7−15 15−11 15−11)1鳴門第一

 女子の第一セットは、6−7と助任のリードから、鳴門第一が湯浅の三本のサービスエースで逆転に成功し、八木のスパイクで加点して振り切った。第二セットは両チームのレシーブが決まり、11−11のタイから助任がエース・吉川の強烈なスパイク、サーブでフルセットに持ち込んだ。一進一退が続いた第三セットは、ようやくサーブが決まり出した助任が、岡田のサービスエースでリードし、そのまま勝負を決めた。鳴門第一もエース八木の強打や真田のブロックで応戦したが、あと一歩決め手に欠けた。


7月2日付 読売新聞


         
ライオンカップと東京での記念写真

         ファイト

     決めたドライブサーブ


   助任バンビ 吉川貴美子主将

○・・・フルセットにもつれ込む接戦に、得意のドライブサーブで終止符を打った。
1m52の小さなエースだが、垂直跳び57cmのジャンプ力をいかし、コート内を縦横無尽に駆け回った。
決勝戦でも無理な体勢から強烈なスパイクを打ち込み、その積極さが初優勝の原動力となった。
○・・・バレーを始めたのは小学三年の時。
現在徳島商バレー部で活躍する姉の由美さんに刺激されたのがきっかけ。
昨年からレギュラーとなり、今年は大黒柱へと成長した。
猛練習で故障が絶えず、この日も右ひざの痛みをこらえての出場だった。
○・・・ニックネームは「キンちゃん」。
「全国大会までに苦手のブロックを磨き、県代表の名に恥じない試合をしたい」。
キンちゃんの頭のなかは、早くも大舞台での活躍でいっぱいだ。

決めたドライブサーブ


       バレー生き生きと
   大会記念作文 入賞者決まる
 「全日本バレーボール小学生大会<ライオンカップ>」の第十回大会開催を記念して主催者側が募集した「バレーボールの作文」の第一次選考委員会が八日、徳島市内で開かれ、応募者多数の中から最優秀賞に佐那河内JVCの石本紘美さん(11)(六年)の「バレーボールと私」が選ばれた。
バレーボールを通しての楽しい思い出や苦しい経験を題材に、小学4、5,6年生を対象に募集した。
石本さんの作品は、小さな体ながら一生懸命にバレーボールに取り組んでいる姿が生き生きと描かれているのが評価された。
入賞者は十日午前十時から、松茂町総合体育館で行われる県大会の開会式で表彰され、石本さんの作品が朗読される。
入賞者は次のみなさん。
優秀賞 八万南JVC・友成亜紀(六年) 優良賞 助任バンビ・野々瀬めぐみ(六年)、延野JVC・岩崎由梨(五年)、加茂JVC・立石千栄子(四年) 佳作 助任バンビ・吉川貴美子(六年)、助任バンビ・岡田晃子(六年)、北島南十字星・岩典子(六年)。


    
バレーボール小学生大会 記念作文の入賞作紹介

   大きく育った心と体
 優良賞 助任バンビ 野々瀬めぐみ

 私がバレーを始めたのは、四才ちがいの姉がバレーをしていたので、いつも母に連れられて、姉の試合を見に行っていました。
そして、私も2年生の時、チームに入りました。
バレーを始めたのは、もう一つの理由があります。
それは、私はひっこみじあんなので、心をきたえるためにはいりました。
最初は、練習もあまりきびしくなくて毎日楽しかったですが、学年が上がるたびに練習もきびしく、何どバレーをやめてしまおうと思ったか、わかりません。
でも、その時仲間がはげましてくれたり、お父さん、お母さんが、最後まで、何でもやりとげなくてはいけないと言って、守ってくれたので、ここまで、つづけられました。
そして試合で負けた時のくやしさ、今度は、必ず勝ってやると心にちかい、毎日のきびしい練習にたえて、時には、くやし涙をながしたり、指から血が出ても、仲間六人がはげましあってきました。
私の心の中にもカントクのきびしさ、信頼、友への思いやり、友情が芽を出しました。
三月二十七日の県大会決勝の日、不安な気持ちでコートに入りました。
これが私達六人の最後の県大会です。
そのことを心において、決勝で三セット目に入ったとき、私にサーブがまわってきたのです。
ドキドキする胸をおちつかせて、相手のコートを見ました。
仲間を見ました。
しんけんな顔です。
私は、みんなの気持ちをうらぎらないようにボールをしんちょうにうちました。
バシンという音でコートに入り、点がとれたときは、うれしい気持ちでいっぱいでした。
苦しい試合でしたが、みんなが、がんばり優勝できました。
そして、うれしくて涙がとまりません。
カントク、父、母みんなが泣いていました。
私の頭の中は今まで練習したことや、やめてしまいたかったことが、次々に思い出されてきます。
そして長く苦しい三日間は、終わりました。
次の目標は、ライオンカップ優勝です。
六年最後の大きな試合なので毎日の練習を休まずがんばり、カントクがおしえてくれた「練習から、もう練習へめざせライオンカップ優勝」を、合言葉に、毎日がんばっています。
私もひっこみじあんが直り何をしても自分に自身がついてきました。
これも、バレーをしてきたおかげです。
これからも、バレーできたえた心と根性で何事も、せっきょく的にやって行こうと思っています。

優良賞 大きく育った心と体 作文コンクールでチーム賞をいただきました。

   平成二年度六人制バレーボール小学生大会 男女の4強出そろう

   助任3大大会制覇狙う

 女子の準々決勝四試合はいずれもストレートで決着。
県新人戦、全日本小学生大会県予選に続いて本年度県内三大大会完全制覇を狙う助任をはじめ鳴門一、藍住西、一宮が準決勝進出を果たした。

   惜しくも雪辱ならず
 準々決勝で優勝候補筆頭の助任と対戦した八万は、全日本小学生大会県予選準決勝の雪辱を期したが、またもストレート負け。
だが、スコアを見る限りでは分からない見ごたえある試合を展開、文字通りチーム一丸となった戦いぶりで場内を沸かせた。
1セット目を落として迎えた第2セット。
大黒柱・赤塚瑞穂さん(11)八万小6年が、助任のエース・吉川貴美子さん(11)助任小6年に対抗、終盤までシーソーゲームの大接戦に持ち込んだ。
「この日のハイライト試合だった」とは富永県小学生バレーボール連盟会長の評価。




    創部20周年で記念大会
   少女バレー県内外17チーム競う
 徳島市の少女バレーボールチーム助任バンビの創部二十周年と第十回ライオンカップ全国大会出場を記念する平成二年度少女バレーボール助任大会が十四日、徳島市の助任小学校体育館で開かれ、県内外から十七チームが参加。
A(六年生含む)B(五年生以下)ブロック別のトーナメントに熱戦を繰り広げた。
[Aブロック」1回戦 佐那河内2ー0不動、八万2−0就将 2回戦 助任A2−0佐那河内、藍住南2−0川内北、一宮2−1三本松、藍住西2−0八万、準決勝 助任A2−0藍住南、藍住西2−0一宮、決勝 藍住西2−0助任A
[Bブロック]1回戦 大松2−1応神、千松2(不戦勝)0津田、方上2−0松心、丈六2−0助任B、準決勝 大松2−0千松、方上2−0丈六 決勝 大松2−0方上

平成2年10月17日付 徳島新聞

          MEMORIES」

   苦しかった3年間
 苦しかった練習が、いま、まくをとじようとしています。
今までを、ふりかえってみるといろんなことが、思い出されます。
苦しかったこと、楽しかったこと、全部、小学生時代の1ぺージに、残ることでしょう。
また、このバレーボールで習った、根性と友情は、どこへ行っても、わすれないでいたいと思います。
また、一生わすれないと思います。・・・サブアタッカー川本紀子(のりちゃん)

   ありがとうバレーボール
 今右手をいっぱい広げてみている。
この手で何回サーブを打ったんだろう。
何回アタックを打ったんだろう。
左手に比べずい分大きい、ザラザラしていてふしも太い。
この手は今までの練習のきびしさを一番よく知っている。
この3年間、つらいことがたくさんあった。
たくさんあったから勝った時の喜びは大きかった。
本当に続けて来て良かった。
私達にゆめを与えてくれたバレーボール。
私達に感動をあたえてくれたバレーボール。
ありがとう。・・・キャプテン エースアタッカー吉川貴美子(キンちゃん)

   私の大切な思い出
 私の一番心に残っている事は、5年の冬のトスの練習のことです。
毎日、毎日少しでも上手になる、という事を目標にがんばりました。
つめたくなっている手にボールが当たり、その当たる所から血が出て毎日そのくり返しでした。
もうバレーをやめようと思った事もあります。
バレーの友達とはげまし合いここまでこれました。
思い返せばうれしい事、悲しい事、全ての事がいい思い出です。・・・セッター岡田晃子(あきちゃん)

   バレーボールの思い出
 私は、バレーボールをして、一番心に残った思いでは、全国小学生バレーボール大会で東京にいったことです。
入村式では、全国の子供達と出あい、たくさんの友達が出来ました。
一番おどろいたのは、東京体育館の広さと、開会式でのスケールの大きさ、そしてこの体育館で試合ができたことは、一生わすれません。
選手村での4日間は、「あっ」というまにすぎましたが、バレーチームの仲間と、話し合えたことは、今でも心に残っています。
この思いでは、私が大人になっても大事にして行きたいと思います。
そして、やっぱり私は、バレーボールが大好きです。・・・バック野々瀬めぐみ(めーちゃん)

   はじめての個人賞
 私は2年の12月からバレーをはじめて、4年になります。
バレーの練習はきびしかったけどたくさんの友達も出来て、よそえ練習試合に行くのがたのしみでした。
そして、その中で一番思い出に残っているのは、去年の9月、八万大会ではじめて個人賞をもらった事です。
今まで練習してきた成果がいっぱい入っていると思います。
はじめてみんなの前に出て賞をもらった時は本当にうれしかったです。
これからもがん張ってスポーツをやって行きたいと思います。・・・固定バック中元幹子(みっこちゃん)

   3年間のバレーボールの思い出
 私がバレーボールを始めたきっかけ。
それは、おなじクラスのOさんとYさんがバレーボールにはいっていて、とても楽しそうだったのではいりました。
入ってからみんながやさしくしてくれて、とてもうれしかったです。
そしてみんなと友達になって楽しい日々でした。
これからもみんなと仲良しでいたいです。・・・バック篠原千壽(ちーちゃん)

 私は今、とても輝いています。

あと1点 あと1点
・・・やったあ! 優勝だ!
全国大会だ!

私の目から自然と涙があふれでた
友だちも泣いている
父も母も そして監督も泣いている
大きな歓声の中に
今までのことが次から次えと見えてくる

寒い体育館で つらかったあの日
友だちが遊んでいるのを見て さぼろうと思ったあの日
何度も何度もバレーをやめようと思ったあの日

でも私は
父母に励まされ
友だちに支えられて頑張ってきた

それは私の前に
今日この日があったから
ライオンカップがあったから

ちょっとだけ強くなった私
友情の大切さを 心から感じるようになった私
素直に「ありがとう」といえる私

私に 夢と希望を与えてくれた
私を 大きく成長させてくれた
ありがとうライオンカップ
本当に ありがとう

  「ライオンカップの思い出」作文集より

   <お別れの手紙>

   かんとくへ
 本当に、長い間ありがとうございました。
今、ふりかえってみれば、この4年間は長くて、みじかいように感じられました。
苦しかった時、うれしかったとき、いろんなことが思い出されます。
でも、そのしごきが、今、うれしいほど強くなったのだと思います。
話は変わりますが、私は、2年から入部して、こんなに長くつずけたのは、はじめてでした。
それは、今まで、短気で、なんでも1年ぐらいですぐやめてしまっていたのです。
それは、おこられても、けられても、私は、バレーボールが大好きだからです。
今思えば「やめてやる」とかいいながらも、やめられなかったということなのです。
今日でバレーボールは、6年生はおわりますけど、今のBの子も、私たちみたいにきびしくすれば、きっといいけっかが、でると思います。
最後になりましたが、かんとく、本当に、ありがとうございました!
そしてさようなら、平成2年11月18日 1番川本紀子、PS、私のことを、わすれないでください!

   かんとくへ
 この川上わかあゆ大会で、私達六年生のバレーボール生活も終わりました。
ホットする気持ちと、悲しい気持ちです。
まだ、バレーボールのルールもしらない三年生の六月に入り、三年間、苦しい、苦しい練習にたえてきた、いままでの大切な思い出が目にやきついています。
こんな大切な思い出を作ってくれた、かんとくに感謝しなければいけないなあと思いました。
たくさんの思い出は山ほどありますが、とくに苦しかったことは、賀集へ行って何セットもプレーしたことです。
真夏の風のない日、戸はしめきったまま、水分は取らせてもらえないと言う苦しい練習試合でした。
口には絶対にだしませんでしたが、なきたいくらい、にげ出したいくらい、苦しく悲しかったものでした。
今、おもえば、必死にかんとくに、ついてきた私達は、えらいなあと思います。
私達のバレーボールは、悲しいつらいことだけではありません。
みさき公園に行ったことは、とくにいい思い出です。
また、お手紙で他のチームとの交流を深めていったことも、もう一つの楽しい思い出です。
ある夏の日、私は考えたのです。
かんとくに、大変お世話になりっぱなしじゃあないのかなあと。
”そうだ、ライオンカップで
優勝しよう”と考えたのです。
ライオンカップで優勝なんて、ゆめではありません。
少しずつ希望が見えてきました。
六人とも心を一つにして、一生懸命に練習しました。
そして、私達助任バンビは見事鳴門第一に勝ち優勝しました。
うれしさのあまり、声も出ませんでした。
これが、私達のかんとくへの小さな、小さなプレゼントでした。
かんとくを、東京に私達がつれていくとゆう、ちいさなゆめからわきおこった、私達のファイトが本当に実現できて、とってもうれしかったです。
ありがとう かんとく
ありがとう バレーボール 
さようなら バレーボール 
お元気で さようなら・・・助任バンビ
2番吉川貴美子

   お世話になったかんとくへ
 長い間、本当にありがとうございました。
バレーボールに入り、もう4年ぐらいになります。
あの小さかった、私達がこんなにまで大きくなり、勝ちまくり、今思うと、さぞ不思議と思うでしょう。
私はとても不思議です。
でもここまでこれたのは、自分で努力した事だけでなく、かんとくが心を鬼までにして、きびしくしてくれた事と、友達、親といっしょうになってはげましあい、ここまでこれたのだと思います。
やめようと思う事が何回もありました。
でもここでやめたらせっかくここまでやってきたのに・・・。
と思うとやめられなくなりました。
それに私は、バレーボールが大好きです。
バレーの練習がない時は、ボールでヒットする練習や、トスの練習をよくしていました。
でも何回か、うるさいとおこられました。
でもついついやってしまいます。
話はかわりますが、試合でサーブがはいらなかった時は、いつも徳中の運動場のネットでサーブの練習をよくやりました。
今度はぜったいに、ミスはしないぞと言う気持ちで。
最後になりますが、今まで私達をいっしょうけんめいにさせてくれて、本当にありがとうございました。
私は、バレーを続けるかどうかはわかりませんが、できればやるつもりです。
私達のことは忘れないで下さい。
よろしくお願いします。
いつまでもお体をおだいじに・・・私達に勝つという楽しみを、あたえてくれてありがとうございました。
心から、お礼を申し上げます。
4年間本当にありがとうございました。
一生忘れません。
1990.11.18・・・3番岡田晃子より 
とてもさみしくなります。

   私の大好きなかんとくへ
 長い間本当にありがとうございました。
私は、2年生の秋からはいって、ずっとこの4年間がんばってきました。
3年生や4年生で、もうバレーなんかやめてやろうと思った日が、たくさん、いや、それいじょうありました。
でも、最後までがんばってこれたのは、ライオンカップがあったから、チームのみんながいたから、かんとくがいたからです。
はじめて東京に行けたことは、もう一生わすれません。
でも、この全国大会に出場できたのは、今まで、ずっとかんとくがそばにいたから、いてくれたからです。
ライオンカップでゆうしょうしたときは、本当に、心の底から、「ありがとうございました。」がいえました。
4年間、ずっと、ずっと、かんとくの練習にたえてきました。とても苦しかったこともあったけど、今、思えば、もう一度、かんとくにしごかれたくなってきました。
だから、かんとくも、お体に気をつけて、ずっと、私達のことを、みていてください。
それと、私は、そんな可原かんとくが、一番大好きです。・・・バレーボールを愛する、野々瀬めぐみより

徳島市大会優勝(3月) 徳島市大会優勝(5月)
藍住大会優勝 旅行(みさき公園)

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